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祈りの歌への想い
毎年群炎展に≪奏≫をテーマに描いています。今年は無性に歌うということを描きたくなりました。
あの白の空間は描いているうちに、どうしてもこう描きたいという内面の欲求が出てきたように思います。
この絵は発表した後、多くの方から言葉や心を寄せていただいております。
それは今までの絵にはあまりない事でした。この絵を巡るエピソードを書いていたらキリがないのですが、一つ書いてみます。
姉の夫が今年2月の群炎会期中に入院し、突然のように10日あまりの入院で召されてしまいました。
入院中にこの絵を写真にとって見舞いましたところ義兄がとても喜んでベッドサイドに置き眺めていてくれたようです。
家族も慰めとなったと言ってくれておりました。そうして会期の最終日に亡くなっててしまいました。
出棺の時、祈りの歌の写真をそっと誰かが入れてくれ義兄と旅発ちました。
一人息子の甥が絵の命、力を初めて実感したと言ってくれたのが心に響いております。
悲しみ悩みを心に抱いている方々からこの絵に対しての共感の言葉をよくいただいております。
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大森先生との出会い
大森先生が横浜にお住まいだったとき、ご近所でした。
私が以前の住まいから野庭に越すことになった時、絵の好きな友人が野庭には素晴らしい画家が住んでおられると情報をくれました。
その時(今から25年位前)には子どもも大分大きくなってましたので、絵を再開したいと思っていました。
早速こちらから押しかけ弟子になりました。数人の友人とグループをつくり先生にお越しいただいて月に数回、描く時を持ちました。
その間にグループ展をしていただいたり、県展、女流展など先生からご指導いただいて出品したりしていました。
その後先生は市原へ越されましたが、こうして今もご指導いただいておりますこと感謝です。
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